はじめまして

はじめまして。

むねおかまなみです。

福岡市で、夫と4歳の娘と0歳の息子と4人で暮らしています。

自家製培養酵母、そのなかでも、フルーツ種、ヨーグルト種でパンを焼いています。


☑四季折々の旬の食材から酵母を起こす
☑酵母液の香り、味を楽しむパン
☑こねない
☑ほったらかし時間が長く、スキマ時間で作れる
☑できるだけ洗い物は少なく



忙しい毎日でも、無理なく、本格的な自家製酵母が作れるレシピをお伝えしています。


毎日、八百屋さんをのぞき込んでは、

「あ!あの食材が出てきたな♪酵母起こしてみよう!
どんな香りがするかな?どんな味がするかな?どんなパンが合うかな?」


「どうやったら元気な酵母が起きるかな?」


そんなことを想像し、実験、パン作りの試作を繰り返す毎日です。

社会人歴10年以上になりますが、これまでずっと料理やパン作りの仕事をしてきたわけではありません。

金融機関、マスメディアなどの転職を繰り返し、なぜ今、パン作りをお伝えしているのか、

ちょっと長くなりますが、お付き合いください。

はじめに

私は、サラリーマンの父と、専業主婦の母のもとに生まれました。

下には、妹と弟がいます。



決して裕福な家庭ではありませんでしたが、

母は、ホームベーカリーでパンを焼いたり、

頭をとって下処理をした煮干しでお味噌汁を作ってくれたりと、

「料理は苦手」と言いながらも、手作りの良さを教えてくれました。


父はよく

「毎日夜遅くまで仕事をして、家族の時間は少ないけど、お給料が高いのと、
お金はたくさんないけれど、早く家に帰ってきて家族とたくさんの時間を過ごせるの、
どっちがいい?一緒にいるほうがいいでしょ?」


と言って、よく遊んでくれました。(今考えると、なんて極端な質問・・・笑)



私は父が大好きでした。
いつも面白いことを言って笑わせてくれ、
お金はなくても、山、川、海など、自然で遊ぶ楽しさを教えてくれました。

休日の定番は、手作りのおにぎりをもって、山登りでした。
父のにぎったおにぎりは、塩がちょっと多くて、ちょっとしょっぱく、それがまた好きでした。



でも、そんな父は私が小学校6年生のときに病気で他界しました。





「人は最後は1人になる。1人で生きていける力をつけないと」



そう母が幼い私に言っていたのをとてもよく覚えています。だから、



「大きな会社に入って、お給料をしっかりもらうこと」



それがなんとなく、自分の中の目指すところになっていた気がします。


まわりの目を気にして流される

小学校6年生のとき、父の他界と同時期、クラスメイトから無視をされたことがありました。

どんな理由だったのかは覚えていないのですが、かなり印象的な出来事でした。

幸い、不登校にはならず、少ししたらまた学校に行くことができましたが、


そのことがきっかけで、周りの目を異様に気にするようになりました。



「何か尖ったことをしたらまた無視されるかもしれない。」

「軽いノリ、面白い雰囲気を出している人は嫌われていないな。よし、私もそうしよう。」



自分の「素」を出すことができなくなり、周囲との調和をとったり、

尖ったことをしないようにするようになりました。



中学では吹奏楽部に入部し、クラリネットを担当しました。

公立の中学でしたが、顧問の先生がかなり熱心だったので、中学3年生のときには全国大会で2位になりました。

パートリーダーとして、副部長として、部を引っ張ったのは大変でしたが、全く苦痛ではありませんでした。



何かをはじめると、とことん突き詰める性格は、このころからだったなあ、と思います。



高校は吹奏楽部の部活動推薦で、県立高校に進学しました。

進学した高校は、県内有数の進学校でもあり、もう二度と戻りたくない!と思うくらい勉強もしました。笑



高校では、

「とりあえず国立大学に行きなさい。行ってからどうするか考えなさい。」

そんな風潮でした。



私は流されるまま、とりあえず、自分の行ける偏差値の国立大学を受験し、進学しました。


大学でも、「体育系の部活動が就職に強いよ」と聞いたので、

とりあえず体育系の部活動に入りました。



ここでも、何かはじめたらとことんやりたい性格が出てきて、

とりあえず入ったテニス部でも、本気で取り組みました。



私が就職活動をしたのは、リーマンショックの翌年でした。


経済学部だったので、周りの多くが金融機関への入社を希望していました。




「何かをするならお金が必要、そのお金の仕事につけば、いろんな人を助けられる」

そんな志望動機を書きました。



でも、本当は、




「食の仕事は面白そうだな。

でも食品商社とか食品メーカーは、試食をすること多いみたい・・・。

私はたくさんは食べられないし・・・。

周りの友達が金融機関を受けるみたいだし、私もそうしよう。」

と思っていました。

よくわからない理由をこじつけて、エントリーシートを出しまくっていました。



でも、就職活動時はリーマンショックの翌年です。

ただでさえ、企業は採用人数を大幅に減らしている、その上に、
この訳の分からない志望動機。

もちろん、全滅です。


100社近くエントリーシートを出したと思います。



だんだん、自分自身が否定されている気がして、精神的に追い込まれました。

採用人数を減らしているとはいえ、周りの友達はどんどん内定をもらっていく・・・



追い込まれ、
追い込まれ、


大学でメンタルケアも紹介してもらいました。





でも、そんな中、なんとか大学4年の秋、2次募集で、縁もゆかりもない土地の地域社員として、

メガバンクに内定をもらいました。




人に流されながらも、精神的に追い込まれながらも、幼少期からの目標、

「大きな会社に入って、お給料をしっかりもらうこと」

を達成できたと思いました。


憧れの大企業OL

目標としていた大企業に就職でき、最初はとてもうれしかったです。

が、すぐに間違ったと実感しました。



銀行窓口で、投資信託や保険商品を販売するのですが、
どうしても商品を好きになれなかったのです。


思い返すと、私の志望動機は漠然としすぎていて、


「自分が本当にやる業務を全く理解していなかった」


のです。

もちろんある程度は理解していましたが、自分のこととして、自分が働いている姿まできちんと想像できていませんでした。



それでも最初は、めちゃめちゃ就職活動を頑張って、やっとの思いで入社した会社なんだから、

頑張らないと!!と思って、

ここでもまた、ストイックに取り組みます。



会社から与えられた仕事をきっちりやろうと、

目標というノルマを達成すべく、会社の方針、やり方にのっとって、投資信託や保険商品を日々必死に提案しました。

自宅でも提案の練習をし、商品の勉強をしました。


休日は図書館に行って資格試験の勉強をしました。

朝の9時から図書館が閉まる時間まで勉強しました。

資格試験は受けれるだけ受けました。



なので、営業成績もよく、早くから新入社員の教育係になりました。


でも、やればやるほど、

「これでいいのだろうか・・・?」

という疑問が生まれました。


だんだん、体調を崩すようになりました。

しまいには、出社するとめまいや吐き気がするようになりました。


会社の椅子に座ると、涙が出るようになりました。




実家からも遠く、孤独でした。

とうとう3年弱働いた会社を辞め、地元の福岡に戻ることにしました。

その後、地元で転職した広告代理店は、2年たたずに退職、また別の金融機関に就職することにしました。

2度目の転職

業務内容は、新卒で入社した銀行とは異なり、同じ金融機関でも

直接お客様へ営業するのではなく、間接営業(販売店への営業)でした。



銀行時代、新入社員の教育係はいやではありませんでした。

「自分のためには頑張れない。でも誰かのためならば頑張れる」

教育係を通して、そう思っていました。

だから、実際、個人成績を上げる営業よりも、頑張りたいと思っている販売店さんのサポートをすることの方が、

自分の性格に合っていました。



最初は営業活動が本当に楽しかったです。

販売店さんにもかわいがっていただき、よく飲みにも行きました。





営業途中のパン屋巡りも楽しみのひとつでした。

ネットで検索をして「今日はこのあたりに営業に行くから、ここのパン屋さんに行ってみよう♪」

昼食はもっぱらパン屋さんのパンだったなと思います。



営業成績も上がっていき、同期よりも早く昇進したり、九州地区内でよく表彰されたりしました。

出産という大きな転機

大きな転機は「出産」でした。

夫と結婚し、娘を授かることができました。



出産後は、娘と一緒に長くいたいという気持ちもありましたが、

「仕事にでて社会とかかわりたい」

という気持ちも強かったです。


産後1年間、育児休暇をいただき、復帰した先はバックヤードの事務仕事でした。


新卒からずっと営業の仕事をしてきた私にとっては、

事務仕事は張り合いがなく、モチベーションが上がりませんでした。

かといって、営業の仕事は残業もあるし、会社の方向性も変わっていて、かつてのように自由な営業ができず、

目標というノルマがどんどん厳しくなっていて、

営業に戻る気持ちにもなれませんでした。

自分の「好き」は何か?

そこではたと我に返ります。



「自分の大事なものはなに?」

「大事な娘を0歳から保育園に預けてまでやりたい仕事なの?」

「これまで、仕事は生きるための手段としか考えてこなかったけど、それでいいの?」

「1度きりしかない人生。自分はどうしたいの?」





自分に問い続けました。


思い返すと、







自分には趣味がない。
得意なこともない。



また音楽をやる?

でも、土日は子どもと過ごしたい。

土日は自分の習い事は入れたくない。

平日はもっと無理。






何が好きなんだろう・・・

何ができるんだろう・・・

生活の延長でできること・・・






そういえば、、、

私の好きなこと、好きなものは、パンだ。





結婚してからも、休日はパン屋さんめぐりでした。

私のパンへのこだわりは強く



総菜パンはここのパン屋、

ふわふわパンを食べたいときはここのパン屋、

ハードパンはここ、

サンドイッチはここ、



みたいに、食べたいパンによってパン屋さんを変える始末。笑




でも、パンはこれまで作ったことがなかったので、自分にできるんだろうか・・・

ずっとパンはパン屋さんが1番美味しい、と思っていたし、

手作りパンがパン屋さんを超えられるのだろうか・・・

ちょっと美味しいくらいだと、絶対パン屋さんに買いに行ってしまうな・・・




とりあえずパンを作ってみよう、と思い、無料レシピサイトのレシピでイーストのパンを焼いてみました。



「固い・・・・」

はじめて作ったパン



焼き立てはおいしいのですが、少しでも時間がたつと、すごく固くなって食べれるものではなくなりました。

イーストを使ったこねるパンは数回焼きましたが、こねるのがつらくてすぐやめてしまいました。





『作るならば、手軽で、本当に美味しいパンを作りたい』




そう思って、いろいろネットで検索をして、


『自家製酵母パン』に出会ったのです。

自家製酵母パンの手軽さ、美味しさにハマる

自家製酵母は、レーズン酵母がスタートでした。



通信講座で自分の好きな時間に動画をみて、レポートを提出するというスタイル。

まず最初につまずいたのは、酵母起こしでした。


酵母がどうしても起きないのです。
先生のレシピ通りにやっているのに、起きない・・・



早くパンを作りたいのに、作れないもどかしさを1か月近く経験しました。
もう自分には起こせないのではないか?とさえ思いました。


なので、酵母が起きたときのうれしさはひとしおでした。



レーズン酵母のパンをはじめて食べたときの感動は、今でも忘れられません。



時間がたっても硬くなく、まるでお店のようなハードパンを自宅で焼けたことが、
本当にうれしかったです。


そして、当時、夫は単身赴任中で、フルタイムで働いていた私にとって、


☑低温長時間発酵で工程を2日間にわけること
☑こねないこと
☑ボウルを使わず、タッパーを使うこと


は、生活の延長でパン作りができる、無理なく続けられる手法でした。


そこからどんどんパン作りにのめりこみました。



出勤をする平日も、※春頃の場合

1日目・・・夜寝る前に生地を作って、室温発酵

2日目・・・朝起きて冷蔵庫に生地を移動。出社。帰ってきて娘を寝かしつけし、21時ごろから成形スタート、焼成中にまた新たに生地を作り、23時就寝。



というようなスケジュールで、1年以上、ほぼ毎日パンを焼きました。




「パン作り」が精神安定剤

娘が2歳のころ、娘が救急車で運ばれることがありました。



幸い、大きな病気ではなかったのですが、完治してからも、精神的なことが原因で、

しばらく大きな病院に通院することになりました。



保育園には通えなかったので、

単身赴任中の夫も、私も数週間仕事を休み、実家の母にも手伝ってもらったりと、

交代で娘を自宅でみました。



娘はいつ回復するんだろうか・・・

いつ保育園に行けるようになるんだろうか・・・

いつまでこの生活が続くんだろうか・・・



ずっと心配し続けていて、疲れも出ていました。



そんな時に精神的な支えになったのが「パン作り」でした。



パン作りしているときだけは、自分の時間を過ごしている実感がありました。

うまく焼けてうれしい!楽しい!

そのときだけは、精神的な疲れを忘れることができました。

いろんな酵母と、素敵な受講者さまに囲まれる毎日

その後、レーズン以外のものでも酵母が起こせることを知り、ひたすらいろんなもので酵母を起こすようになります。

春は、いちご、酒粕、清見オレンジ、夏は、ブルーベリー、デラウウェア、トマト、

秋は、梨、柿、冬は、りんご、きんかん、レモンなど、




もう30種類以上は起こしたと思います。

同じ酵母でも、環境が異なると別の表情を見せたり、生地に添加したときの様子が異なるので、

何度も何度も起こし、検証しました。


その時々の旬の食材で酵母を起こし、

その酵母にあうパンを想像して焼くことが楽しみになりました。




そして、どんどんフルーツ種の魅力にハマっていきました。

今や、八百屋さんをのぞきこむことが日課です。笑



今や4歳になった娘も、日々酵母の瓶を眺めては、

「今日の酵母、元気だね♪」

と一緒に観察をしています。笑




私にとって、パン作りをお伝えするお仕事は、

人からどう思われるかではなく、

自分がやりたいと思って選んだ仕事です。

そんな仕事ににたどり着いた、

そう思います。



「自家製酵母パンを美味しく焼いてみたい!」

「自家製酵母パン作りにチャレンジしてみたい!」


そんな意欲的な、マニアックな、大好きな受講者さまのために、日々、自分のできることを誠心誠意、お伝えしています。

いつも全力投球です。




私がかつて、パン作りに救われたように、

今、運営している自家製酵母パン講座が、


ストレス発散になったり、

何かモヤモヤした気分を一時でも忘れる場となったり、

自分のための時間を過ごす時間となったり、

そんな場所になったらいいな、そんな場所にしていきたい

と思っています。

最後に・・・

私のパン作りのモットーは、

☑手軽であること
☑パン屋さんのような味わいであること
☑かっこいい見た目であること



生活の負担にならない、生活の延長線上にパンづくりがあってほしい

そう思って日々パンのレシピ開発をしています。



自家製酵母の研究も、日に日にマニアックになっています。

これからもますますフルーツ種を究めます。笑



最後まで読んでいただいたあなたと、ご一緒できることを心より楽しみにしております。
長文お付き合いいただき、ありがとうございました。